命をいただいて生きると言う事

命をいただいて生きると言う事

日本と言う国に生まれ、食べたい物を食べて何も考えずに生きてきた私。

いつだってスーパーに行けば食材があり、外食だって選びたい放題。

お金があれば何だって買えるし、好きな物を選んで食せる時代。

日本は幸せな国だなあと思います。

そんな中、あるお坊さんと話をしていて食に対して感謝をするようになったのです。

そのお坊さんは、私たちが普段何とも気にせずに食べている全てのものに命があり、一日に何万・何億もの命をいただいて人間は生きている、そこに感謝をするために「いただきます」「ごちそうさまでした」と言う感謝の意を唱えるのだと教えてくれました。

確かに、お米一粒にも命があって、今日の朝食で食べたししゃもにだって命がある。

子持ちししゃもを4匹食べた私は、今日の朝食だけでいくつの命をいただいたのだろう…

そう考えると恐ろしい数の命をいただいて生きているんだなって改めて感謝の気持ちが沸きあがってきました。

しかし人間は食べないと生きていけないし、そのために人間の犠牲になる植物や動物達はそんな運命にある事も知らず、美味しい料理になってくれる。

野菜だって太陽の光を浴びてすくすくと成長して一番いい時に食べられる。

これから種を育み子孫を残そうと奮闘するまで生きておれずに、若くて一番元気がある時にもぎ取られ食べられる。

そういう運命の元に生まれてくる。

これって人間に置き換えたら大変な事です。

いくら運命とは言え、子どもが出来てもうすぐ出産だと言う時に母子共に亡くなりましたって言う事態と一緒ですもんね。

そんな大切な命をいただいて私は生きている。

だからこそ、一生懸命生きないといけない。

命をいただいて生きると言う事は、いただいた命の分まで懸命に行きなければならないと言う事だと思うのです。

贅沢をすればする程、頑張らないと!って思います。

私は長年ベジタリアンをやっていた経験もありますが、野菜だって命だと気が付いてから分け隔てなく何でも食べるようになりました。

魚が危険とか肉が危険とかいいますが、野菜だって同じ地球上に生きる命で危険じゃないと言い切れる訳がありません。

どの命に対しても「ありがとうございます」と言う気持ちでいただけば、体は喜びに満ちて元気を維持できるはずだと思います。

今日も明日も、貴重な命をいただいて、精一杯生きていきたいとおもいます。

昔のアイドルをみて振り返る

今朝、テレビにとても懐かしい人が出演していました。はなまるマーケットのはなまるカフェにチェッカーズの藤井フミヤが出演していたのです。

藤井フミヤといえば私たちが子供の頃大変な人気があり、みんなが憧れていた存在です。そんな彼も、今年で50歳を迎えるというから驚きです。自分たちのその分年をとったんだなとしみじみと思います。

私が小学校の二年生ごろにキャラクター文具がたくさん発売されて、筆箱、下敷き、鉛筆、消しゴムなどあらゆるものをチェッカーズの文具で揃えていた思い出があります。私の友人は、おひげのタカモクが好きで、よくどちらがカッコいいかということで話しをしていた面白い思い出もあります。

そんな彼らですが、近年、解散をきっかけに仲違いしてしまい、一方が暴露本を出版するなど大変険悪になっていてとてもじゃないけど復活コンサートが出来るような状態ではないように思います。藤井フミヤは、そのルックスと歌声の素晴らしさで、解散後ソロ活動をしても大ヒットを次々と連発し、生活に全く困らなかったといえます。しかし、その他のメンバーは、チェッカーズを解散してしまうと、みんなの生活はどうなるんだと言い、自分たちに次の仕事が来るのかどうかも分からないので、解散に慎重だったそうなのです。

そんなことはどこ吹く風と、自分に自信があった藤井フミヤは一方的に解散を決めて、自分だけ独立して成功してしまったそうです。

先日、古くからのメンバーの一人であったドラムの人が亡くなってしまった時の葬儀にも一緒に顔合わせことがなかったということで関係の溝の深さは相当深刻なものだとファンとして気づかされました。

やはり、今までグループでがんばって来たのだから、グループを解散する時も慎重に全員の将来を考えてやらなくてはならないのだな、自分勝手に独りよがりで自分の都合しか考えないようにやってしまうと、いろいろな人から恨まれたりして後々大変な思いをするのだなとフミヤを見ていて私は思ったものです。

そんな彼も、歳をとったせいか、最近では家庭菜園にはまっていたりするようで、軍手をして自宅の鉢植えを時間をかけて手入れしている姿がテレビに映っていました。そんな心の余裕ができたのだなと私は思いました。私も、現在二人の育児の傍ら、ベランダで育てている朝顔やカーネーション、日々草などの寄せ植えを手入れするのが趣味の一つとなっています。生き物とは違いますが、植物でもとても生命を感じることができますし、自分の手入れできれいな花が咲く事は私にとって大変な喜びとなっています。日常になんだかはりが出てきますし、子供たちにも私がせっせと植物の世話している姿を見ることで、生命の大切さを知ってもらえればと思っているのです。

こうして、私も同じように歳をとっていくのだなと思った今日この頃でした。