「君は海を見たか」山田宏一(映画評論家)

 『水俣−患者さんとその世界−』(1971)のなかで水俣病にかかった音楽好きの兄弟が出てくる感動的な情景を忘れることができない。
貧しい小さな部屋に、似つかわしくないほど大きな高級ステレオがあって(そのステレオは町の電気屋さんが「月々千円でも二千円でもいいから」と言って置いていってくれたものだという)、一枚のドーナッツ盤をかけると、都はるみがせつせつとうたう「赤城の子守唄」がボリュームいっぱいに流れだす。

兄は恍惚とした表情で、不自由な体をゆすりながら、まるでオーケストラの指揮をとるように両手でタクトをふる。弟のほうは(この少年の片耳は完全につぶれて耳の穴がなく全聾全唖なのだ)大きなスピーカーの表面にてのひらを押しあて、指のあいだに風圧のように音を感じとって、いかにもうれしそうな顔を見せる。

 このシーンに流れる都はるみの「赤城の子守唄」をある種のセンチメンタルな心の戦慄を持って聞かなかったと言えば、それはうそになる。しかし、いまなお私の心に鮮烈によみがえるあのシーンの感動は、かならずしもセンチメンタルなものではなく、もっと知的な衝撃である。観客としての私のおどろきというか、ショックというか、情動の要因は、つきつめてみると、あの音楽好きの患者さん兄弟の生きるすがたを凝視する土本典昭という人間の視線、つまり姿勢のありかたなのである。それを、たとえば不幸とたたかうひとびとへのやさしい視線などとよぶ気は、もちろん、ない。

やさしさなどという、あの、ポール・ニザンの表現を借りれば「ヒューマニズムの古きお伽噺」を信じていたのなら、土本典昭は、患者さんとその世界から、とっくのむかしに遠ざかって、美しい虚構の「ユートピア」に逃避していたであろう。その方が映画としても美しく、カッコよく、完成されたものができていたかもしれぬ。だが、彼はカッコよく「思考する人間」であるよりも、ぶざまに「生活する人間」であることをえらんだのである。

土本典昭監督、過去の作品の撮影時写真より

なぜなら、ドキュメンタリスト土本典昭にとっては、「映画をつくることは、人と出遭う事業」であり、「人と出遭うことでのみ、映画の柱をたててきた」のであり、「映画は生きものの仕事である」からなのだ。

〈「山田宏一の日本映画誌」(ワイズ出版)より〉