公害病のひとつ。
1956年ごろに熊本県水俣市付近で発生が確認されたためこの名がある。
この後、新潟県で発生した同様の公害病も水俣病と呼ぶ。
メチル水銀中毒。
手足のしびれが起き、その後歩行困難などに至る例が多い。重症例では痙攣、精神錯乱などを起こし、最後には死に至った。発病からは3か月で重症者の半数が死亡した。胎内で水銀中毒となった者の予後は不良である。(Wikipedia より)
1955年頃より、水俣市のあちこちで、猫が不審な死を遂げるのが見られるようになったのがことの起こり。翌年、人間にも同じ症例の患者が確認されるにいたって、新日本窒素肥料(チッソ)水俣工場附属病院長の細川一が「原因不明の中枢神経疾患の発生」を、5月1日、水俣保健所に報告した。この日が水俣病の公式的な発見の日とされている。
当初、患者が水俣市のある地区、それも漁師に限定されていたため風土病とされ、水俣奇病とも呼ばれたため、それが要因となって、患者およびその家族に対する差別が生まれた。
1959年、熊本大学医学部水俣病研究班が、この原因不明の奇病の原因が、新日本窒素肥料水俣工場から排出される有機水銀中毒にあると発表したが、新日本窒素肥料はこれを否定、その結果、後年まで適正な対策がとられず被害が広がることとなった。政府が水俣病発病と工場廃水の因果関係を認めたのは1968年になってのことであった。症状発見当初は、その原因物質がメチル水銀であることが分からず、有機水銀とされたが、のちにメチル水銀であることが判明。また、水俣病の発生地域は、八代海沿岸の水俣市周辺。
こうした詳細は、土本典昭監督が『医学としての水俣病三部作』で詳細に明らかにしている通りである。
本作『映画は生きものの記録である』では、胎児性患者の小崎達純さんをはじめ、水俣でのシーンに登場されている方はすべて水俣病患者である。
水俣市には、水俣病に関するあらゆる資料を集めた市立の資料館があるほか、環境省でも水俣市内に研究センターを開設している。
また、水俣病患者および関係者の支援団体として、水俣病センター草思社が広範な活動を行っている。


